1955年3月12日、死亡報告書に64歳と記入されたチャーリー・パーカーは
実は34歳であったということを、たった今見終わった映画で知った。
と言うことで、明後日はビ・バップの父チャーリー・パーカーの命日だそうだ。
とまぁ、知ったかぶりはこの辺にして、お寒い週末いかがお過ごしでしょうか?
今朝目覚めの一発メールチェックで、ご無沙汰の知己から便りが届く。
タイトルは「紙芝居のご案内」。
彼はワタシの回りでもちょっとした変わり者で、今現在何を生業にして生きているのか不明であるが、
紙芝居師であることは間違いない。
いつの話になるのか知らないが、彼は『うちゅうばくはつがくだん』という紙芝居楽団を立ち上げ、
そこで彼は脚本と語り部を担当している。
メールは、
「紙芝居公演をやります。3月10日台東区生涯学習センターです。」って内容だった。
「おいおい、ちょっとちょっと、あれ?3月10日って今日じゃね?
バカヤロー、当日に連絡する馬鹿がどこにいるんだって、おい?」
と朝からぶっ込みをかけられた訳です。
まぁ、いつものことながら俺には週末の予定など無いので(コレはコレでちょっと問題ではありますが)、
前回いつ彼に会ったのかすら忘れてしまった程久しぶりだということもあり、
遥々上野まで冷やかしに行ってきたのであります。
本日は2作品の公演があり、1945年今日の東京大空襲にちなんだ『光のカーニバル』という演目と
現代社会を俯瞰してみたような社会派の『地球の唄のこだまが響く』という演目のそれぞれ1時間ほどの超大作。
彼の紙芝居は何度か過去に見ていて「へー」ぐらいにしか思っていませんでしたが、
『うちゅうばくはつがくだん』は紙芝居楽団と言うだけあってBGMを担当する楽器隊が存在し、
コレがまたもの凄くクオリティが高く少々面食らい、屈折しているワタシは
「チキショー、やるじゃねぇーか、このヤロー。」なんつって
「俺は簡単には認めねぇーんだ、バッカヤロー。」と、もう少しで負け惜しみを言ってしまいそうなぐらいでした。
2時間ちょっとの見事な公演が終わり、「よしっ!」と声をかけに行こうと思ったのですが、
なんちゅーか、挨拶するのに楽屋前に一列に並んで待つみたいな状態になりそうで、
ワタシそう言うのマジマジで苦手でして、気がつくと出口の方に向かい歩き出していて、
結局何も言わず逃げるようにその場から立ち去った次第です。
今から2時間程前に彼から電話がありました。
彼:「もしかして、今日来てました?
俺、ちょっと目が悪いんでよく見えてなかったんですけど、
それらしい人が居たので…。」
俺:「おう。後ろの方に座ってた(笑)。」
彼:「なんだー、やっぱり!…声かけて下さいよー、ったく。
気づいたら既に居なかったので…。」
俺:「あ、悪ぃ悪ぃ、なんか忙しそうだったし、
『来てやった』アピールすんのもなんか厭らしいかなぁなんて思って
帰ってきちゃったのよ。」
彼:「何も言わずに帰る方がよっぽど厭らしいですよ!」
俺:「あー、すみません…。でもさ、君たちさ、格好良かったよ、バカヤロー。」
只今午後11時27分。
この後、約30分後に3月11日が来ます。
いつも通り、おやすみなさいませ。
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